六文銭は永楽通宝

eirakutu.jpg真田幸村の旗印の六文銭は、北条方の武将松田氏の旗印であった「永楽通宝」が六個並んでいます。
九度山のおみやげの一つ「真田最中(もなか)」と言うのがあります、写真のように六文銭の永楽銭の型をした最中(もなか)です、注文を受けてから、あんこをつめるため皮のバリバリ感がのこり上品な味の最中(もなか)です。
あんこは、小倉、しろあん、抹茶の3種類があります。

その永楽通宝について少し・・・
永楽通宝(えいらくつうほう)は、中国、明朝第3代皇帝・永楽帝の時代に作られた銭で
室町時代に日本へ大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通し、永楽銭とよばれていました。
材質は銅製、貨幣価値は1文として通用しましたが、日本では江戸時代に入ると永楽通宝1枚が国産の銭(ビタ銭)4文分と等価とされたということです。
良質の銅銭で有ったため江戸初期まで基本貨幣として使われていました。

民間が勝手に鋳造した銭貨を私鋳銭といい、しかし、これらの私鋳銭は粗悪で品質も悪かったため、鐚銭(ビタ銭)と呼ばれ、官鋳の永楽銭よりも低価値で流通していました。この銅銭の品質の違いによる価値のばらつきが問題になって、戦国時代には戦国大名が良銭と悪銭の区別を禁ずる撰銭令を発出することもしばしば見られたらしいです。
江戸時代に入ると1608年には永楽銭の流通禁止令がだされ、江戸幕府が1636年独自の銅銭寛永通宝を本格的に鋳造し、流通し始めると永楽銭は次第に駆逐されていったという事らしいです。

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先日のNHK歴史秘話ヒストリアで六文銭について、「すべてに死ぬ気で臨む覚悟の印」とナレーションで言っていましたね。 六文銭は「不惜... 続きを読む

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真田最中は、美味しいです。

奈良県にも「みむろ最中」という名物が
ありますが、真田最中は形も楽しめます。

永楽通宝をかたどって、いろんな土産物が
できそうです。四角い穴のドーナツとか。

以前ニューヨークに住んでいた友人から、米国の
通貨(コイン)を使ったカフスボタンやゴルフの
グリーンマーカーをもらったことがあります。

真田祭りオリジナルのグッズが話題になり、
観光客を引きつけられたらいいですね。

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このページは、matsuが2006年3月24日 22:10に書いたブログ記事です。

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